5月15日。今日も暑かったですね。綿麻着てしまおうか、と思ったのですが、まだ探し出してないのでした。

新しい店に引っ越した時にきちんと季節ごとの分ければ良かったのですが、とにかく詰めてしまったので・・・。

お客様と好きな色、着たい色のお話をしていました。

私のピンク好きは周知の事実ですが、じざいやの推し色は黄色、紫、緑です。この組合せが大好きなのです。

その中から今日は紫のお話を。

日本では推古天皇11年(603年)に冠位十二階を定めたときから、色による位が定められました。一番地位の高い「大徳」を濃紫とし、以下、青、赤、黄、白、黒にそれぞれ濃い、薄いがあったとされます。

以来 「色」というものは上級階級のもので、貴族、寺社、武士などにっとて意味を持つものであり、長らく庶民には縁のないものでした。

そもそも、染める、ということ自体が贅沢なことだったのです。

江戸期になり、次第に町人にも身を飾ることへの関心が広がってきました。ようやく町人階級に、お金を使って、”色”を所有できる人たちが現れました。

しかし、高価な紅花染めや紫根染めは庶民には禁じられていたのです。高位と富の象徴である紅と紫は、庶民にとって手の出せない憧れの色でした。

そこで本物の紅、紫よりも安価な蘇芳や他の植物で染めた「似せ紫」(にせむらさき)等が作られ、庶民の欲求を満たしたのです。

さらに高価な染料としても有名なのが、貝紫です。アクキ貝という巻貝の内臓に含まれるパープル腺を使った染色です。パープル腺は貝の中にあるときは黄色味かかった乳白色ですが、日光に当たると赤紫に発色します。

紀元前16世紀ごろに、古代オリエント三大文明の中心であった地中海沿岸で活躍した海洋民族たちが、 貝から色素が取り出せることを発見しました。

貝から取れる色素の量は2000個で1グラム、と極く僅かであり、その色の美しさと相まって高貴なものとされました。、帝王や貴族にのみ許され、。帝王紫と呼ばれました。

帝王紫は古代ローマでも大切にされましたが、東ローマの滅亡と共に滅びてしまいました。

貝からの染色はインカ帝国でもおこなれています。

地中海では貝を割って中のパープル腺を取り出したのに対し、メキシコの先住民は海岸へ糸を持って行き、生きた貝から直接染めては貝を海に戻す、という染色方法で、現在も僅かに行われています。

紫が好き、という方は着物にもお洋服の方にもいらっしゃいますね。また年代と共に紫が好き、というかに似合うようになられる方も。

紫は、赤味のあるもの、青系のもの、藤色やすみれ色、こげ茶に近いものなど様々です。

あなたがお好きな紫はどんな紫でしょう?

山漆、玉葱、蘇芳を使った紫と薄べージュの縞のみさやま紬に 紫地の読谷山花織帯。

紫・黄色・緑のじざいや推し揃い踏みコーディネート。


経糸が生糸で意外にサラリとした風合いのみさやま紬は単衣でも。
山漆、というのが凄いですよね 横山さん、何者?漆職人?