信州には、上田、伊那、飯田の紬が信州紬として登録されていますが、それとは別に、みさやま紬を名乗るのは、横山さんの家一軒だけです。
お父様(横山英一氏)の代から、自宅の裏山で採れた植物を使い自宅の田んぼで採れた藁を焼いて灰をつくり精錬に使ってきました。今もそのままの手仕事が続けられています。
自宅で採取した植物は新鮮で発色が良いのが自慢です。売っている材料では濁った発色になるとおっしゃいます。また葉や花では堅牢度が低いと感じるそうで、木本体の皮や枝、実を使用して染めています。山漆で染めるのはとても珍しく、美しい灰白色から深い墨黒まで発色します。
機場には6台の機がありました。かつては、家族一人に一台使っていたそうですが、今はご主人と奥様、お嫁に行ったお嬢さんが時折手伝いに来て、一度に2,3台を使い同時に織進めているそうです。
ここでも問題は後継者でした。今までも、幾人もの若い人がお弟子さんとして来ては数年で辞めていったそうです。ここでは、単に機を織る、ということだけでなく、機場の掃除から様々な雑用もこなして糸の扱い、染めの技法、織の組織などを覚えなくてはなりません。大きな工房のような分業ではないのです。修行に近い形ですから一層難しいでしょう。
自分の信じる「良いもの」を作るために研究を重ね、独自で作り上げた技術を伝えるには、10年は共に苦労しないと本当のコアな部分は伝えられないのに、そこまで育った人はいないのだそうです。数年前まではご両親もご健在でただ作ることだけに専念していたけど、今になって後継者をきちんと育てていなかったことをとても後悔しておられるそうです。
民藝運動の柳さんを通じて知り合った郡上紬の宗廣陽介さんともお友達で、時折会えばお互い息子さんが居ず後継者を育てなかったけれど今からそれをする時間も気力もない、と自分たちの代で工房を閉めざるを得ない悲しみと、今のきもの業界では娘に継がせても苦労させるだけだから、と話されるそうです。
染め場を拝見すると磨き上げられていて土足厳禁でした。専用のサンダルか長靴に履き替えて入ります。それは靴の裏の土や不純物が染めの化学変化に影響を与えることと、糸を落としたりして汚すのを避けるためだそうです。真剣勝負の染めです。柔らかで透明感のある美しい糸が染まります。
デザインも横山さんがなされますが、縞と格子ばかりだったものを勉強して花織を覚え品の良い花織を織り込んだものも少数ですが作られるようになりました。技巧に走らない分、色の美しさと風合いの良さを身上としている着るための紬です。
豪華さはありませんが日々着ていて飽きることがなく、糸質が良いので、シワになり難くとても軽いのが特徴です。
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みさやま紬を織っているところと草木染の糸たち