山下八百子さんの黄八丈。11月12日まで特別価格でご提供。

八丈島で織っている黄色い着物だから黄八丈と呼ぶのだと思っている方が多いのですが、八丈絹を生産する島だから、八丈島と呼ばれるようになったのです。

それでは、八丈絹とは何かと言えば、江戸時代は反物を織る長さが一疋(いっぴき=2反分)で曲尺八丈(約24メートル)だったことに由来します。今の一反は鯨尺で三丈、色無地などの共八卦の付いたものは四丈と呼ばれています。

黄八丈は江戸時代、お米の採れない八丈島の租税として幕府に上納されていました。それを将軍家から大名、御殿女中などに下賜されたもので、御殿女中は打ちかけの下の小打着として着用していました。

江戸後期になって庶民の経済力も上がり歌舞伎役者の娘衣装に使われたことで一気に人気が上がりました。江戸時代の流行は歌舞伎から発生するものが多く、黄八丈もその例に漏れませんでした。また漢方医が制服のように着ていたとも言いますので、男性にも愛用されていたようです。

御殿女中や医者が着ていたのは時代劇で見かけるような大きな格子ではなく、無地っぽいのや小格子、細縞が主流だったようです。江戸後期に庶民のものとなって大胆な格子などの現在のイメージが定着したようです。人気があったからこそ模倣され、後には銘仙やウールで黄色地に黒や赤の格子柄を生み、秋田黄八丈や十日町黄八丈が作られることになります。

黄八丈と言えば、山下さんの名前が挙げられます。組合に属さずに家族だけで古くからの技法を守り、地元の刈安の黄色、マダミの樺色、椎の木と泥の黒の三色を組み合わせて織り上げられます。

独特の風合いは、昭和天皇の母宮から、皇居で養蚕されている「小石丸」という極細で美しい糸の日本古来の品種の蚕を譲り受け、その糸を織り込んでいるからです。

しなやかで光沢のあるその黄八丈は、町娘より御殿女中に似合う品格を漂わせています。じざいやで取り扱った山下八百子さん、芙美子さんの黄八丈の中からいくつかをご紹介します。過去の商品画像も入っておりますので、現在、在庫しない作品もございます。また、ここに掲載しない作品の在庫もございますので、お問合せください。