夏の憧れ・・上布。日本各地に「上布」と呼ばれる布があります。南から北へ。宮古上布、八重山上布、北陸の能登上布、そして越後上布です。他に、会津上布とも呼ばれるからむし、越後上布の縮版である重要無形文化財の小千谷縮も上布の仲間です。個別にご紹介してみましょう。

1.宮古上布ー重要無形文化財指定

400年以上昔から琉球で織られていた苧麻織物ですが、1609年に薩摩に制圧されてからは、様々な税のうち、身長が143センチを超える女性には人頭税として宮古上布の納付が義務付けられました。貢反布は 、役人の厳しい監督のもとに作られました。精巧な紺細上布を美しく仕上げるためには、原料の苧麻の選定から始まって、細い糸を績む高度な紡ぎの技術を持った手や藍屋染色技術、絣締め等、一連の熟練した手を全部揃えなければならず、大変な苦労を強いられました。宮古上布の条件は、
1.すべて苧麻を手紡ぎした糸を使用すること。
2.絣模様をつける場合は、伝統的な手ゆいによる技法、又は手くくりによること。
3.染色は、純正植物染であること。
4.手織りであること。
5.洗濯(仕上げ加工)の場合は、木槌による手打を行い、使用する糊は、天然の材料を用いて調製すること。

最後の仕上げ加工で 蝋引きとも呼ばれる独特の美しい艶が生まれます。
         

2.八重山上布ー伝統的工芸品

八重山上布もかつての献納布でしたが、藍の宮古上布に対して白上布と呼ばれました 基本は白地に紅露による焦げ茶の絣模様がくっきりと浮びます。数多い沖縄織物の中でも、刷込捺染技法を用いる織物は八重山上布のみです。海晒し、といって海中に漬け込んでオゾンで漂白することがあります。

3.能登上布ー石川県無形文化財

およそ2000年前に、崇神天皇(すじんてんのう)の皇女が現在の中能登町能登部下に滞在した際、この地に機織りを教えたことが始まりと伝えられています。その後、江戸時代に近江(現在の滋賀県)から技術を導入して発展し、大正4年には能登麻織物同業組合が設立されて能登上布は最盛期を迎えます。第二次世界大戦までの最盛期は織り元が120軒、出機数は6千軒を超え、年間生産反数20万~30万反となり日本一の産地となりました。昭和35年に県無形文化財の指定を受けます。

その後、近代化の波には抗いきれず、織子が化学繊維に流れ、徐々に織元は減り、衰退の一途を辿りました。昭和63年にはとうとう能登麻織物協同組合も解散され、現在は山崎家のみになりましたが、平成8年に能登上布振興協議会が設立され、技術伝承を支えています。

4.越後上布・越後縮ー重要無形文化財・ユネスコ世界無形文化遺産

絣は、南で生まれ北上しながら技術を高め、越後上布で完成した、と言われます。重要無形文化財で、指定要件は以下のとおりです。
1.すべて苧麻を手うみした糸を使用すること。
2.絣模様を付ける場合は、手くびりによること。
3.いざり機で織ること。
4.しぼとりをする場合は、湯もみ、足ぶみによること。
5.さらしは、雪ざらしによること。

年間30反ほどしか生産されません。1反分の糸を績むのには熟練者でも1年近く掛かります。そこから、木羽定槻という道具で絣の柄を糸に移し、手で括って絣を作ります。そして地機で織りあげられます。