5月は、29日が恒例、ごふく、呉服の日です。
22日金曜日から31日まで、ごふくの日セールでございます。鬱屈していた数カ月、ここで一気に晴らしましょう!
日本の衣装なのにどうして呉服?と思われませんでしょうか。着物を売ってる店を呉服屋と呼ぶ・・・ 考えるとなんだか不思議です。
呉服の呉は、呉の国のことです。「呉」とは、中国の揚子江以南の地方で、中国史上に2回、国家として現れます。
最初が2500年ほど前で日本は縄文時代です。
二度目はいわゆる三国志の時代で3世紀後半です。長い戦乱から逃れるため、多くの呉国人が日本に渡ってきました。
日本書紀では、猪名津彦命(いなつひこのみこと)が呉の国から機織(はたおり)裁縫(たちぬい)の技術を日本に伝えるため、呉服(くれはとり)綾織(あやはとり)兄媛(えひめ)弟媛(おとひめ)を連れ帰り、日本に絹織物の技術が伝わったとされます。
この呉服(くれはとり)を祭った神社が、大阪の池田にある呉服(くれはとり)神社です。
つまり、呉服は「くれはとり」と呼ばれました。
「くれ」は日暮れの暮れで、中国が日の暮れる方角にあったためそう呼ばれ、「はとり」は機織(はたおり)から転じた名称です。
呉服(くれはとり)とは、絹織物の職人のことでした。苗字の「服部さん」も元はここからですね)。
次第に「くれはとり」が、職人ではなく織られた絹織物そのものを指すようになり、奈良時代に音読みの「ごふく」になりました。
日本古来の織物は倭の国の服で倭服であり、明治時代に洋服に対して和服と呼ばれるようになりました。
ですから本来、呉服とは絹織物のことです。麻や木綿は「太物」と呼ばれて区別されていました。
戦後、麻や木綿の需要が激減して太物だけではやっていけなくなり、呉服と太物の区別が消えていきました。
また「呉服」という言葉は、この業界が好きな語呂合わせで五福(長寿、財力、無病、徳、天命)に通じることも好んで使われた理由だと思われます。
じざいやは、太物も呉服も扱いますが着るもの、としての きもの。着るもの屋で ありたいと思います。
寒かったので真綿系に触りたくて、今日は士乎路紬でコーディネート。
帯は仕立上がりの刺繍帯。
やっぱり紫根染は素敵ですね。
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