こんにちは、さくらこです。
沖縄の染織品、首里城応援で30~60%引きもありますので、この機会をお見逃しなくっ。
三連休、いかがお過ごしですか? 涼しくなって着物日和ですね。どうぞ着物でお出かけ、楽しんでください。ついでに、じざいやにも寄ってってください~~。
よくある質問は「首里花織」と「読谷山花織」の違いについてです。簡単に説明させていただきますね。
明日は、紅型についておさらいの予定です。
首里と読谷山。どちらも花織の産地として名高いものがあり、首里花織の人間国宝は宮平初子さん。読谷山花織は、亡くなった与那嶺貞子さんが人間国宝でした。
狭い島国の中ですから、お互いに影響しあっていますが、すぐに目に付く違いは、読谷花織には裏に糸が渡っている、ということです。
しかし、首里の中にも裏に糸が渡る技法もありますし、読谷山の中でも糸が全部渡らずに切れているものもあります。
画像で比べてみますね。こちらは読谷山花織。
こちらは、県の重要無形文化財保持者・比嘉恵美子さんの読谷山花織(沖縄読みで ういたんざはなうい)
現在、読谷山花織の人間国宝はいませんので、県で重要無形文化財に指定されているのは3名のみです。
いつも言いますけど、丁寧な仕事で織られたものは裏が美しい!!
この読谷山花織の帯は裏糸に全く緩みがなく、ピシっと揃っていて、見ていて本当に気持ちが良いのです。
基本的には、王朝のあった首里に比べて、南方貿易の中心であった読谷山はより南国的で力強く、濃い地色に色糸で柄を織り出します。
柄は、
銭花(ジンバナ)
風車(カジマヤ)
扇花(オージバナ) の縁起の良い柄3つの組み合わせに、縞、格子、絣が併用されることもあります。
読谷山村での布の用途は、村芝居の衣装や婚礼衣装であり、素材は木綿でした。
また、女性の肩や髪に掛ける手拭のような小布を手巾(ティサージ)と呼び、女性から男性へのお守りとして渡されもしました。
庶民のものでもあったので、全体的に温かみと親しみやすさがあります。
対する首里花織は、読谷山より変化に富んでいて技法も多く、中でも 花倉織・ロートン織は王族、貴族にのみ許された首里だけに伝わる織物です。
裏表で同じ柄を織り出す両面浮織りも首里のもので、裏に糸が出ないので単衣にも使われます。
首里花織の名古屋帯です。
縞の部分が経糸だけが浮き織になるロートン織。部分的に糸の密度を高くしています。
琉球王朝では男性の正装用の織物でした。
裏糸がカットされて見えているのは、柄の部分のみに色糸を使って織る、手花(てぃはな)と呼ばれる技法です。表からは刺繍のようにも見えますね。
二種類の技法を巧みに使ったこの帯は、色使いも秀逸で、薄緑に黄色や薄紫の配色は
沖縄よりも本土の空気感を持っていて、紬、小紋をお洒落に格上げしてくれます。
首里花織の中でもう1つ独自のものが、花倉織です。
この帯は、花倉織の第一人者 伊藤峯子さんの九寸名古屋帯です。
花織と絽などの透かしの入った織りを組み合わせたものですが、沖縄の織物のうち最も格式の高い織物で、王家の妃、王女にのみ許された夏の衣装です。
花織と絽織、紗織を市松又は、菱形模様に織り上げたものだけが花倉織と呼ばれ、絽が入っていても市松や菱形状になっていないものは花絽織、などとされます。
花倉織は、絽が入っていますが涼しいための絽ではなくデザインとしての絽なので、涼しくありません。晩春から単衣の季節にお勧めです。
カラー芯を入れると透けて雰囲気が変わります。
大阪生まれの伊藤さんは、沖縄の色彩感覚とは一味違う、澄んだ色合いの作品を生み出されます。
花織は経糸の上げ下げが複雑で、これだけの綜絖を扱うのは熟練だけのもつ技です。
頭がこんがらがりそうですね。
沖縄の染織、今が買い時です^^
最後までお読み頂きありがとうございます。