毎日のようにコーディネイトの画像を撮っていて思うのは、「帯の力」ということです。
帯を替えることで変化する着物の表情の不思議は、コーディネイトの楽しさの基になっています。
日本の服飾は、古墳の時代から様々に変化しているものの、どの時代にも紐や帯が使われていました。
単に着装する道としての帯ではなく、古代において「むすび」は森羅万象を生み出す霊的な力であり、「結ぶ」という行為そのものが信仰的な意味を持っていました。
飛鳥奈良時代には中国や朝鮮半島の文化の影響が強く、着物の形状は今日の洋装に近いもので、各種の紐・帯類で体に沿わせるようにしていました。
帯は細いながらも色目や文様、玉などの飾りによって、官位を明らかにし身分を示すものでもありました。
平安時代になると日本独特の服飾形態がほぼ完成して、女性は十二単などの重ね着が特徴的になりますが、袴紐や腰紐以外の帯らしいものはまだ、見られません。
帯が重要なものとなってくるのは、小袖という着物形態が広がり、重厚な装飾がなされるようになる中世半ば以降でしょう。
それでも当時の絵画を見ると、帯というより紐に近い細幅のものが使われて、結ぶ位置も腰骨の左脇か前になっています。
近世になると小袖の袖幅が狭く、身幅が広がり、現在の着物に近い形になりますが、それでもまだ腰位置で前か脇で結ばれています。
江戸の中期になってようやく長さも幅も広くなり、着物姿の重要な存在となってきます。
そうなると遊女や歌舞伎役者が流行の発端を作り、帯は多様な意匠を誇るようになり、結び方にも技巧を凝らされるようになったのです。
帯が着姿の中で重要な役割をするようになってまだ300年ほどですが、今は、着物を楽しむ、ということにおいて、帯を楽しむ部分が大きくなっているのだなぁと実感します。
山崎さんの帯をコーディネイトしてみました。
先染の牛首紬に 茜染めの麻の葉模様を絞り染めにした山崎世紀さんの帯。
ピンクの格子に絣を入れた大島紬に 月見草で染めて藤の花を絞り染にした山崎世紀さんの帯。
残糸を織り込んだ大島紬に 泡立草で菊の花を絞り染にした山崎世紀さんの帯。
パステルカラーの草木染の士乎路紬に泡立草で七宝を絞り染にした山崎世紀さんの帯
[common_content id=”7743″]